学生時代は哲学専攻でした
私は、税理士試験を受験している現在34歳のサラリーマンです。
今でこそ会計・税務に携わっていますが、学生時代は人文学部で哲学専攻でした。
高校生の頃、「倫理」という科目が授業であり、そのときに哲学者という人々を知りました。
まだ科学がない時代に生きていた、当時最も賢かったと思われる人々が一生をかけて構築した世界に関する理論体系、それがとても面白いと思っていました。
高校生の頃、特に好きだったのは古代ギリシャのプラトンが唱える「イデア論」でした。
イデア論とは、おおざっぱにいうと、この世界にあるいろいろなものはすべて偽物のようなもので、本物であるイデアはこの世界とは別のところ(イデア界)にある、といった考え方です。
目の前にりんごがあります。このりんごがりんごとしてそこに存在しているのは、イデア界にりんごのイデア(原型)があって、そのイデア(原型)を分有しているからです。
このなんとも壮大でちょっとSFチックな考え方は、高校生だった私の心をわしづかみにしました。
実は、すべてがコピーかもしれない、目の前にあるものは本当は存在しないのかもしれない、別の場所にに「本当の世界」があるのかもしれない、といった末恐ろしくもなにやら憧れも感じた10代の若者たちは、きっと私だけではなかったと思います。
子どもの頃に決定論者になっていた
決定論とは、世界のあらゆるものはあらかじめ何者かによって決定もしくは一定の法則等によって決定されている、といった考え方です。
私は、大学の卒業論文では、17世紀の大陸合理論に位置づけられるユダヤ人哲学者、バールーフ・デ・スピノザの主著「エチカ」を扱いました。
「エチカ」については、高校生のときには倫理の教科書で少し知っていました。
「神即自然」とか「決定論」とか、そういったキーワードで出てきます。
高校生のころから、スピノザは気になる哲学者のうちの一人でした。
というのも、私は子供の頃「明日も明後日も何が起きるかもうすでに決定していて自分の力ではどうにもならない」という気持ちによくなっていました。いまから考えるとけっこうヤバい子供ですね笑
これはおそろく6歳の頃から10年間加入していたスパルタなサッカークラブの影響がありそうです。
気づいたらクラブに加入しており、なにをどうしようと結局監督に怒られるんだ、という一種の諦念があったのだと思います。もしかすると、あまりいい精神状態の子供ではなかったのかもしれません笑
そういった考え方を自然と身に付けてしまっていたために、「決定論」という哲学を知ったとき、親近感がわいてきたのだと思います。
スピノザの「エチカ」
「エチカ」では、この世界の外側にこの世界を創造した神が存在するとしているキリスト教の考え方とは異なり、この世界そのものが神である、と語られます。そして、目の前にある個々のものはその神の現れ(様態、と言います)であるということになっています。
神はすべての原因であるとともに結果であり、つまりはこの世界は「神しかいない」ということであって、原因と結果の連鎖反応のようなことがひたすら続いているだけであって、この世界である神には目的も意志もありません。
なんと殺伐とした主張なんでしょうかね笑
この世界はなんのために存在しているのか、等の問いに対してスピノザは「目的はない、意味もない」と言ってくるわけです。
なにかがなにかのために存在したり、生じたりするように見えたり考えたりするのは人間の誤った思考のせいとも言うわけです。
スピノザは「神」「神」といつも連呼していますが、これは絶対に宗教の神とは違います。
まあ、私は卒論では、スピノザの「エチカ」においては人間も動物も石ころも「個物」として一緒であると言っておきながら、結局は人間だけがほかの個物と一線を画す特別な存在であるという話になっていく、そのプロセスを検討しました。
今も目に見えないものの話は好きなほう
私は、占いとかスピリチュアルといったものにハマることはないんですが(なんというか解決したいと思うような悩みがない笑)、目に見えないものの理論体系みたいな話は好きです。
たとえば、この世界は第一世界から第六世界に分かれていて…とか、人間には超過感覚?みたいなものが本当はあるけど気づいていない…だとか、意外と興味を持って話を聞きます笑
どんな話でも、どんなふうでもよいのである程度の理屈をもって構築されたストーリーであれば面白いなあと思います。
税理士になったら、スピリチュアルカウンセラーを営んでいる方などの税務顧問をしてみるのもいいかもなと思ったりしています笑
なんだかまとまりがなくなっちゃいましたけれども、今日はこれでおやすみなさい。